「最高の仲間とソフトボールができた」(畠山主将)/男子ソフトインカレ後コメント集

男子ソフトボール

 9月上旬に行われた全日本大学男子選手権(インカレ)。早大は1、2回戦を順調に突破したが準々決勝で日体大に敗れベスト8という結果に終わった。今回は今大会で引退となった4年生のコメントをお届けする。

※掲載が遅れてしまい、申し訳ありません

畠山陸主将(スポ4=高知西)

――インカレを振り返って
 まずは、やはり悔しいです。インカレ優勝を目標に1年間活動してきましたし、8月の東日本(大学選手権)を終え、打倒日体大を目標に練習してきました。最後のインカレでそれを達成することができず、悔しさが残りました。しかし、最後のインカレで私が思い描いたチームになることができたと感じており、そこに関しては1つ大きな達成感が残る大会となりました。初戦から自分たちの流れで試合を運ぶことができ、試合を重ねるごとに自分たちが良い流れに乗っているのを感じました。その流れで日体大との試合でしたが、あと一歩のところでした。私自身があそこで打っていれば、というシーンもあり悔しさが残りますが、インカレという舞台であのような試合をできたのは本当に楽しかったですし、最高の仲間のソフトボールができて良かったなと感じています。

――主将としての1年を終えた気持ちは
 インカレ優勝という目標を達成することができなかった悔しさはありますが、試合内容、チームの雰囲気など、自分たちが理想としていたものが発揮できたインカレとなったため、1年間の集大成をあの場で見せることができ、主将としての達成感があります。1年間様々なことがありました。試合結果が出ないときもあれば、チーム内で対立するときもありました。これまで主将経験は無く、どのような主将であるべきか悩みながら、試行錯誤の日々だったと思います。そんな中、首脳陣の方々のサポートやチームメイトの支えがあったからこそ1年間活動することができました。こんな貴重な時間を過ごすことができたのは、周りの方々の支えがかったからこそだと感じており、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

――ソフト部での4年間の振り返って
 成長できた4年間だったと思います。それはプレーヤーとしても人としてもです。1年生の頃から試合に出場させていただき、最後の1年は主将まで務めさせていただきました。楽しい時間も辛い時間も仲間と共に過ごし、たくさんの経験をすることができました。その積み重ねが私自身を成長させてくれたと感じています。また、何よりもこの早稲田でソフトボールができたことが本当に楽しかったです。高校までのソフトボールとは違った角度からソフトボールに取り組むことができ、ここでしかできなかったソフトボールに出会えたと感じています。

――新チームとなる後輩へのメッセージ
 私たちの代で達成できなかったインカレ優勝を達成してほしいと思います。これからも大変なことは多いと思いますが、一つ一つ力を合わせて乗り越え、もっと強いチームになって来年のインカレの舞台で輝いてほしいです!

齋藤向陽副将(社4=群馬・新島学園)

――インカレを振り返って
 優勝を目標に活動してきたので悔しいです。日体大に勝てば優勝にかなり近づくという状況で、6回まで同点の試合を演じ、日本一が見えていたところでの敗戦だったので余計に悔しかったです。ただ、勝負の結果としては悔しいものでありますが、やってきた過程に後悔はありません。年間通して日体大に大差で負けた試合もあったため、決して最初から自分たちは強くはありませんでした。その過程で積み上げてきたことを発揮でき、最後に成長した姿を見せられたので良かったです。

――畠山組の副将として送ったこの1年はどんな期間でしたか
 自分は今まで主将や副将という立場でプレーしたことがなかったので、学びの多い1年間でした。 目標に向かう組織を運営する中で、目標に対する価値観の違いや意識の差から、時に全員が同じ方向を向けずに苦しい期間もありました。ただ、主将の畠山が常にチームを引っ張ってくれたおかげで、最終的にチームが1つにまとまりインカレを戦うことができました。目標には届かなかったものの、インカレが熱く素晴らしい舞台であることを伝えられたことが1年間で後輩たちに残せたものだと思います。 このインカレで感じたことを各々が決して忘れずに練習することで、来年以降のチームの強さにつながってくると思うので、頑張ってほしいです。

――ソフト部での4年間の振り返って
 早稲田大学ソフトボール部という、ソフトボールの推薦も野球の強豪校出身の選手も少ないチームで日本一を目指していく過程は、当然難しいことや苦しいことも多くありましたが、だからこそ最高に楽しくロマンのある時間でした。 特に最後の1年間はそのようなチームで副将を務めさせていただき良い経験になりました。 毎年のインカレや国体など、高いレベルで熱い試合をすることがもうできないと思うと少し寂しいですが、この3年半、ないしはソフトボール人生で得た学びを社会人になっても生かしていきたいと思います。本当にありがとうございました。

渡邊幸太(人4=千葉・市川)

――インカレを振り返って
 目標である日本一にはなれませんでしたが、早稲田らしいソフトボールができたと思います。

――ケガや病気を乗り越えての出場でしたが、そのことによって得たものは
 2年間辛い経験が多かったですが、なにより仲間に恵まれました。ここでできた仲間は一生の財産になると思います。

――ソフト部での2年間の振り返って
 ソフトボールだけでなく、部活動内の役職や、ティーボール活動を通して、1人の人間として大きく成長できたと感じています。

田中宏二(人4=大分舞鶴)

――インカレを振り返って
 楽しかったし悔しかったです。他のチームにない一体感や早稲田らしい粘りの戦いが出来たことは練習の成果だったと思います。一方で、日体大に勝って優勝するという目標を達成できずに悔しさもあります。インカレは4年生が活躍する舞台だと感じましたし、後輩たちは4年生の姿をみてまた練習に励んで欲しいと思います。毎年インカレでエラーする畠山が今年は頑張っていたのでこの場で褒めてあげたいです(笑)。

――プレーや声でチームを盛り上げる中で得られたことは
 同期の活躍はもちろん嬉しいですが、裏方の仕事を頑張っていたり少ない出場機会で必死に頑張る後輩のことはやはり応援したくなります。打席に立った時やゴロをさばいた時にたくさん声をかけてくれて試合中楽しくプレーすることができました。自分から率先して声を出したつもりはないので自然と応援していたんだと思います。最上級生として後輩の良いお手本となっていれば幸いです。シャイであまり声を出さない後輩たちがリーダーシップをとって先輩らしい振る舞いをすることを期待してます。

――ソフト部での3年間の振り返って
 楽しかった思い出がたくさんよみがえってきます。午前練習の日に練習しすぎて最終バスで帰ったこともありましたし、部員とたくさんご飯も食べに行きました。特に内野手のみんなとたくさんノックを受けたことが1番の思い出です。家族のみんなも大分から応援に来てくれて嬉しかったです。13年間野球・ソフトボールを続けてたくさん迷惑をかけたので少しずつ恩返したいと思います。引退して悲しい気持ちもありますが、後輩たちが練習に来て欲しいと誘ってくれるのでたくさんノックを打ってあげたいと思います。

中内俊太朗(スポ4=東京・筑波大付)

――インカレを振り返って
 とにかく楽しかったです。チームの雰囲気も、自分自身の打席も、4年間で1番楽しかったインカレでした。ここまでなかなかチームの力になれず、申し訳ない気持ちでいっぱいだったのですが、最後の最後に少しだけ戦力になれたかなと思います。日体戦はとても悔しかったですが、自分の持っている力は全て出すことが出来たので後悔はありません。応援していただいた皆様、本当にありがとうございました。来年、後輩たちがやり返してくれると思うので、今後も応援よろしくお願いいたします。

――下級生からも特に慕われていた印象ですが、後輩と接する上で心掛けていたことは
 そんな印象を持っていただけてとても光栄です。僕は「言葉」を大切にする事を心がけています。私たちは日々様々な言葉を発していますが、何気ない一言が周囲の人の未来を変えてしまうと僕は思っています。それは良い方向にも、悪い方向にもです。しかしそれは言い換えれば、誰かの未来を良い方向に変えることが出来るということです。僕自身、ここまで競技を続けることが出来たのは、周りの方々の温かく、時に厳しい激励の言葉があったからだと思っています。自分にかけてもらった言葉一つ一つが支えとなって、活力になりました。その経験があったからこそ、自分は後輩に何を伝えるべきなのか、どのように伝えるべきなのか、とても考えるようになりました。言語化して伝えることはとても難しいですが、自分の経験してきたことや考えたことが少しでも誰かの役に立てばいいなと思い、本音を言葉にして伝えることを大切にしていました。 慕われていたのかは分かりませんが、そのように見えていたなら良かったです(笑)。

――ソフト部での4年間の振り返って
 正直、楽しいことよりも辛いことの方が多かった3年半でした。プレーでなかなか結果が出ず、自分の部活内での存在価値が分からなくなり、何度か部活を辞めることも考えました。しかし、授業TAや分析班の活動など人として成長できる機会をいただき、この環境から逃げたら自分は一生後悔すると思うようになりました。ソフトボール選手としてはあまり活躍出来ませんでしたが、3年半を通して人としてチーム内で1番成長出来たという自信はあります。それだけ、このソフト部という環境は自分にとって特別なものでした。そして何より、ソフト部を通して出会った仲間は一生の宝物です。 ソフト部での経験を自信にして、今後も様々なことに挑戦していきたいと思います。 ここまで自分に関わって下さった皆様、本当にありがとうございました。

稲垣拓朗(スポ4=群馬・新島学園)

――インカレを振り返って
 今回のインカレ全体を振り返ると目標としていた優勝することができず後悔が残っています。あの場面でもっとこうすれば、あそこで打てばと後悔や反省がたくさんあります。そして今までたくさん応援していただいた方々、早稲田スポーツ新聞の方々に結果で恩返しできることができず申し訳ない気持ちがあります。しかし畠山主将が1年間チームを引っ張ってくれて畠山組で1番楽しい大会になりましたし、チームが一つになれたことから畠山主将と、ソフトボールができる環境に感謝しかありません。総じて悔いが残る結果でしたが納得のできる大会になりました。

――4年間で4度出場されたインカレ。どんな舞台だったか
 インカレは4年生たちの4年間の集大成の場所であり4年生の魂が乗った特別な舞台です。そこで4年間マウンドに立たせてもらえたことはとても貴重な経験をさせていただき僕自身が成長を実感できる場所でした。しかし4度も結果で恩返しすることができず悔しい経験をする場所でもあり、かけがえのない時間と空間であります。

――競技の継続については
 来年以降は海外で挑戦します!

――ソフト部での4年間を振り返って
 新型コロナウイルスの感染拡大中の2021年から始まり、思ったような結果も残すことはできませんでしたが、たくさんの人と出会い、その人たちが私を成長させてくれました。その出会いに感謝したいです。また1番僕を支えてくれた家族に1番感謝したいです。早稲田スポーツ新聞会の方々4年間本当に遠方まで足を運んでいただきありがとうございました。これからも早稲田スポーツ新聞会のご活躍とご健闘をお祈りいたします。

小出拓実(人4=東京・杉並)

――インカレを振り返って
 練習中の事故で、試合に満足に出場できなかったことは本当に申し訳なかったと思っています。最後の最後にチームに迷惑をかけてしまいました。そうした中、副務の渡邊が主務の仕事も外野の守備も助けてくれたり、チームの皆さんにサポートしていただいたので、感謝の気持ちを持っています。また、自分の個人応援歌である宙船が何回もグラウンドに響いていて、とても嬉しかったです。

――怪我をしながらも日体大戦でバントを決めた時の気持ちは
 インカレの2日前に試合に出ることは不可能だと言われていましたが、競技人生はこの大会で最後だと考えていたので、試合に出る機会があるのなら全てを懸けたいと思っていました。同じように努力してきたチームメイトもいるなかで、試合に出させてほしいとわがままを言いました。それにも関わらず、嫌な顔一つせず打席に立たせてくれたチームメイトには感謝の言葉しかありません。必ず決めるという気持ちで打席に立ちました。バントはフライになってしまいましたが、打球の行方を追うよりも一塁までとにかく全力で走りました。三塁側からの歓声でセーフだということが分かり、三塁側の方を見ると、応援席を含めた三塁側全体が自分に拍手を送っているような、とてもすごい光景を見ました。この光景は一生忘れられません。4年間部活を続けてきたことが最後の最後で報われたような気がします。

――ソフト部での4年間を振り返って
 ソフトボール部での4年間は、最初の打席が1年生の全日本インカレの代打で1球で安打を放ったところから始まり、最後の打席が日体大戦の1球のバントで終わりました。 その間には色々なことがありましたが、全て貴重な経験となりました。 応援してくださった方々、本当にありがとうございました。

服部耕太郎(スポ4=東京・本郷)

――インカレを振り返って
 4年間で1番楽しいインカレでした。自分自身はプレー面で活躍することはできなかったのですが、いい試合を見ることができて良かったです。

――守備を中心に活躍された中で、一緒に守った内野手陣、同期へメッセージ
 みんなと守れたのはめちゃくちゃ楽しかったです。いつも取りやすい球を投げてくれてありがとうございました。

――ソフト部での4年間を振り返って
 この4年間は楽しいことだけではなかったけど、人として1番成長することができた期間でした。これからはソフト部での経験を活かして頑張っていきたいと思います。

田島春樹(スポ4=長崎・上五島)

――インカレを振り返って
 一生忘れない思い出になりました。1、2回戦をとても良い試合運びで勝てたこと、日本一になった日体大に肉薄したこと、あの3日間で色々な感情を味わうことができました。首脳陣の方々に「日本一になるムードがあった」と言っていただけたことも嬉しかったです。

――アナリストとしての活動を通して得られた学びを教えてください
 自分の仕事に責任と自信を持つことです。アナリストという役職上、データを元に立てた予測をその場で答え合わせされてしまいます。そこであまりにも見当違いな分析結果を共有してしまうと、チームを混乱させることにつながりかねません。だからといって断定を避けて曖昧な表現にしてしまうと、データの信憑性は下がってしまいます。自分の発言に大きな責任が伴っていること、言葉選びは慎重に行わないといけないことを意識するようになりました。

――ソフト部での1年間を振り返って
 辛いことも多々ありましたが、終わってみると楽しくて一瞬で過ぎ去った1年間でした。3年の秋というあまりにも遅すぎる入部だったのにも関わらず、みんなが暖かく迎え入れてくれて本当に嬉しかったことを覚えています。冬場は特に部員同士でぶつかることも多かったですが、最後は本当の意味でチームになっていた自信があります。だからこそ手が届きかけた日本一を掴み取れなかった悔しさは今も心に残っています。畠山組で成し遂げられなかった日本一の称号獲得を頼もしい後輩たちに託したいと思います。畠山組のみなさん、4年間本当にお疲れ様でした!

(取材・編集 西本和宏、田島凛星)