【特集】野球部 スタッフ特集 第1回 中原由信×神田航×藤田南

野球特集

 スタッフ特集の第1回に登場するのは中原由信(政経4=東京・早実)、神田航(文4=東京・早大学院)、藤田南(人4=埼玉・開智)の3人。主務、副務、そして初の女子マネジャーとして野球部を支えてきた3人に普段の仕事や最後のシーズンへの思いなどを伺った。

※この取材は9月7日にオンラインで行われたものです。

お互いの紹介をお願いします!

――まずは他己紹介をお願いします

藤田 神田くんは物知りで何でも聞いたら答えてくれます。ジャンルも本当に幅広く、野球のことも、違うスポーツのことも答えてくれますし、他にもご飯屋さんについてもいろいろなお店を知っていて非常に博識な人だと思っています。車とか服とかも全部詳しくて、知らないことがあるのかなと思うんですけど、逆にみんなが知ってるようなJ-POPはあんまり知らないので、少し不思議な一面もあります。

神田 中原由信くんです。野球部の活動中の個人的な印象は「とにかく頭が切れる」ですね。部内での困りごとも、他の人に無い視点から切り込んでズバッとくるので、中原に意見を求めるとまとまります。すばらしい頭脳を持っています。ただプライベートな部分は全くわからないですね。4年目にしてもわからないです(笑)。

藤田 寮生活もね、一緒なのに(笑)。

神田 同じ寮に住んでいても彼のプライベートはわかりません(笑)。

――藤田さんについて中原さんいかがですか

中原 藤田南です。藤田は野球部の初の女子マネジャーです。男子しかいない中でマネジャーになると野球部飛び込んできて続けているので、ちょっとやそっとでは落ち込んだりへこたれない芯の強さがあると感じます。例えばアナウンスなどの仕事をやる上でも芯の強さが残っているなと感じます。プライベートではかなりお喋りなので、休みの日に何かが起こったら部活がある日に「こういうことがあったんだけど、みんなはどう思うか」という恋愛リアリティーショーのMCみたいなことをよくやっています(笑)。女子がいなかった頃のマネジャーたちというのは、こんな話をするような空間ではなかったと思うのですが、(藤田さんがマネジャーになったことで)マネジャー同士の会話が増えたかなと思います。

――お互いの「ここがすごい」と思うところは

藤田 私たちは私と中原が広報の仕事を主にしていて、神田が会計のですが、会計は部の予算やお金を管理するので、いろいろな数字が出てくるんです。(神田さんは)それをしっかり理解していて、パソコンを2個も3個も使って会計をやっています。私はそんな根気強く数字とは向き合えないので、それがすごいなという風に思います。

中原 神田はあと運転ですね。部の車を運転する技術は神田が抜きん出ているので、かなり信頼できる部分だと思います。

――普段から練習されてるんですか

神田 練習はしてないです(笑)。

藤田 でも車は好きだよね。

神田 車自体は確かに好きです。ドライブなどでちょいちょいレンタカーを借りて運転したりする程度ですね。

――中原さんについてもお願いします

神田 自分は先ほども言ったようにまず頭が切れることですね。何かスタッフ内で決めないといけないときや何か問題が起きた時にミーティングをすると、1人全く違った切り口から切り込んでくるので、中原が意見を話し始めると大体すぐまとまっていきます。いい意味で独特の感性を持っていると思います。

藤田 広報で何かデザインを考えなきゃいけない時に、長い時間1つのことにこだわっていることはすごいと思います。2年前の春リーグ(東京六大学春季リーグ戦)のカウントダウンを中原が作ってるのですけど、普通の人では考えられないようなデザインで。他の大学でもなかなかないようなデザインが出来上がってたので、すごいなと思いました。 ぜひ見てみてください。

――藤田さんについても神田さんと中原さんお願いします

神田 仕事内容ですね。アナウンスは藤田自身も自信を持っていると思いますが、ミスがありません。精度はもちろん、声の通りやすさや聞こえやすさのところも含めて優れていると思います。

中原 物腰の柔らかさかなと思います。何かを人に指摘したり、何か間違っていることを正したりする時に、言葉遣いや表情に気を遣うタイプだと思います。主に後輩にですけど、指摘する時や逆に指摘されてそれに対する返答する時のコミュニケーションの柔らかさは、自分にはないものだと思います。

神田 会計陣から広報のやり取りを見てると、妥協がないなと見えています。特にインスタなどのSNS系は常に妥協を許さず、とことん突き詰めてやっているなと思います。

――先輩や後輩、同期も含め野球部の中で仲のいい方はいらっしゃいますか

藤田 私は後輩よりも先輩の方が関わる時間が多かったので、いろいろな先輩に面倒を見ていただいていました。1個上だったら、マネジャーだったお二人はもちろんですが、私がよくお話したのは、清水大成さん(令6スポ卒=現東邦ガス)と、学生コーチだった肥田さん(尚弥 、令6スポ卒)、熊田任洋(令6スポ卒=現トヨタ自動車)さんとは、今でも時々連絡を取ったりします。

中原 後輩だと2個下のマネジャーの大野郁徳(政経2=東京・早実)と仲がいいです。自分が早実で野球をして、早稲田に入って、学部が政治経済学部で、それでマネジャーをやってるのですけど、それが完全に一緒で。いろんなことを話したり、その話すことに対して大きなリアクションが返ってくるので可愛がりやすく、同じマネジャーということもあって、よく喋る後輩です。

神田 良くしていただいた先輩で言うと、自分が1年だった時の主将の丸山壮史さん(令4スポ卒=現ENEOS)です。1年生の時にベンチの裏方の仕事をしていて、そこで気にかけていただいていました。たまに連絡を取ることもありますし、ENEOSとはオープン戦で会ったりするので、その時はほぼ必ず喋ります。

マネジャーの仕事とは

――現在役職の仕事内容について教えてください

中原 自分が主務で神田が副務なのですが、自分と神田は試合をするときにはスコアを書いて、監督の横にいて指示を聞いたりする仕事があります。加えて、オープン戦や練習試合では相手チームとの調整をしています。例えば中原がベンチに入るなら、中原が相手のマネジャーさんと調整をします。主務としては野球部として何かを行う時の司令塔のような立場になるので、六大学で集まる時の運営委員を任されています。何か決め事があったりイベントがある時に、運営したり連携を取って各校に情報を流したりします。あとは、野球部が試合をする時やイベントに行くときに、代表してその相手方の企業さんと連絡を取る役割もあります。

神田 副務は主務とほとんど変わらないよね。

中原 キャンプは持ち回りです。例えば春キャンプの時は神田が沖縄キャンプの現地の宿泊先の方と調整したりとか、球場の方と調整してやりました。

藤田 私はそういった外の調整は2人がやってくれるので、仕事としてはないです。仕事内容としては最上級生になったので、自分が何かを作るよりかは、下級生が行う連絡やSNSなど外に出すもののチェックをしたりしています。あと今年は早稲田が当番校なので、始球式を早稲田の総長がやるようになっているんです。連盟の持ち回りの仕事があって、連盟関連の行事にもよく行ったりしますし、この間も北海道にも行きました。あとは連盟のホームページに毎回試合速報というのが出ているのですけど、それも私と来年当番校の慶應の3年の女子マネジャーで一緒にやっています。なのでリーグ戦は早稲田の試合がなくても全試合神宮球場に行ってそれをやっていますし、全日本(全日本大学野球選手権)も明治神宮大会も同じです。

――現在の役職についた経緯を教えてください

中原 まず藤田が一番早くマネジャーになって、その後に自分と神田が選手からマネジャーになりました。藤田が1年秋ぐらいにマネジャーとしてやっていました。それで自分がケガなどもあって、早くから自分が(マネジャーを)やりますと言って、マネジャーになりました。当時は会計は人が多くなってしまうことや、(会計は)知らない状態でやってもミスが起きたり責任の所在がわからなくなってしまうことから、中原と藤田が広報になりました。それで1年生の冬ぐらいに神田が入ってきて、その時の自分と藤田は広報についてかなり経験をしていて、これからも広報でやっていきたい思いがあったので、それを神田に伝えた上で、ポストが空いていた会計の方に行ってもらったという流れです。現在の役職については、今年は早稲田が当番校なので2023年の時点で2024年の準備をしなければなりませんでした。2023年の時点で上の当番校をまとめる人を見て学ばなければならなかったので、普通は4年生になるタイミングで主務や副務を決めれば良い所を、もう1年早い段階で3人で話し合って誰が4年になった時に主務になるかっていう話し合いをした上で、自分が(主務に)なることを決めました。それで2023年度を過ごして、代が変わったタイミングで自分が主務になって神田が副務になりました。

――中原さんと神田さんがマネジャーに転向した理由と藤田さんがマネジャーを志した理由を教えてください

中原 自分は入部する前からケガをしがちでした。それがわかった上で入部して、予想通りケガをしてしまいまして。治すのに 1年強かかるということを知った時に、野球部自体のレベルの高さも感じていたので、リハビリして治った先に自分が活躍できる可能性はあまり高くないな、スタメンは厳しいなと思っていました。また、同期の中からマネジャーを出さなければならないルールは知っていたので、そこで自分の立ち位置を確認した時に自分がやるべきだなというようなところもあったので、そこでの責任感や自分自身の経験、そしてチームのために自分がやるべきだという思いでマネジャーになろうと思いました。

神田 自分は中原と違って、自らマネジャーをやりたいですと言ってマネジャーになったわけではありません。マネジャーを同期の中から2人出さないといけないとなった時に、学年の中でミーティングを繰り返していく中で、「お前に任せたいんだ」という声を聞き始めて。ずっと選手としてやりたいとは思っていたのですけど、区切りをつけました。マネジャーも同じチームの一員ではあるので、違ったかたちでも貢献はできるのかなと考えて、最終的にマネジャーになったという感じです。

藤田 私は父が他の大学の野球部に関係していたので、小さい頃から大学野球が身近にありました。大学生になったら野球部のマネジャーをやるというのは小さい頃から決めていたというか、ほんのり憧れがありました。小学校、中学校と早慶戦などを何回も見に行って、土日の神宮球場を使えるのは六大学で、その中でも球場を満員にできるのは早慶戦くらいしかできないので、私もそれを作る側の人間になりたいなと思ったのが目指し始めたきっかけです。また、祖父が早稲田大学の出身だったので、自分が祖父の後輩になれたらすごく祖父も喜んでくれるんじゃないのかなというのもあったので、早稲田大学野球部のマネジャーを目指すようになりました。

――マネジャーになってから最も印象に残っている経験を教えてください

中原 もちろん優勝が一番印象に残っているのですが、 春優勝した後の全日本選手権の1週間ぐらいはかなり充実した期間だったかなと思っています。当番校の主務というのもあって、全日本の運営を統括することを任されていました。全国のマネジャーと協力しながら大会運営をしていくことに加えて、今年はさらに出場もできたので、スコアラーとしてベンチの中にも入って一発勝負で接戦をものにしていく全国大会の緊張感を経験しながら全国大会の運営をできたので、かなり印象的でしたし、忘れないだろうなと思います。

神田 中原も言った通り、春の優勝や全日本は間違いなく印象的です。それ以外となると春のキャンプが印象に残っています。例年キャンプは沖縄でやっていて、今年も結果的には沖縄でキャンプをしました。ですが裏話をすると、沖縄が使えないことが昨年のキャンプの時点でわかってた状況からの春キャンプの企画だったんです。いろいろ苦労はしましたが、結果的に沖縄にこぎつけることができて春優勝できたので、チームに貢献できたと思っています。

藤田 私のやることの大概は初めてという言葉が全部つくので、いろいろ覚えています。まずマネジャーになった日の朝に部の人が全員集合して、その前で決意表明のようなものをするのがあったのですが、大勢の人の前で自分のことを話す機会はなくて、たくさんの人たちがみんな自分の方を見ていて、すごく緊張しました。ドキドキしましたし、あの瞬間はすごい心に残っています。あとは初めてアナウンスした時ですね。アナウンスの最後に「早稲田大学マネジャー、藤田南が務めます」というのを言うのですが、聞いてくださっていた観客の方やOBの方に、「アナウンスよかったよ。早稲田のアナウンスが聞けて嬉しかったよ」と言ってもらえたので、それもすごい心に残っています。あともう1つ、私は早慶戦では3年生の春、3年生の秋、4年生の春で、3回アナウンスしてるのですが、3年生の時にはどっちも勝ったことがなくて。ですが、今年は早慶戦のしかも日曜日の優勝した試合のアナウンスができました。閉会式で天皇杯をもらうのは印出太一主将(スポ4=愛知・中京大中京)でしたし、その名前を呼ぶ選手の全員が早稲田の選手だったので、すごい嬉しかったのをすごい覚えてます。

――マネジャーとして活動されている中で日々意識していることや気をつけていることは

中原 何か仕事があったり問題を解決するフェーズで、なぜそれをするかとかというのは考えてほしいなと思っています。もちろん自分も考えますけど、後輩や同期とは話したいです。マネジャー自体はずっとあるもので、仕事を受け継いできていますが、よくよく考えたらこうした方がいいとか、コロナの空けた今はこれはいらないといったものはたくさんあります。普段からこの仕事にはこういう意味があってということであったり、この仕事のこの過程にはこういう理由があってということであったりを考えながらやっていないとスルーしてしまうと思うので、仕事1個1個の意味や行う理由を考えてほしいなと思いながら活動しています。

神田 自分はできるだけグラウンドの声をよく聞くことを意識しています。例えば監督や主将、学生コーチ、選手たちにいろいろ聞くのですが、勝つためにやっているチームなので、選手たちの理想やもっとこういう方がいいと思っていることは、グラウンドに出てない我々よりも、現場の声からは自分が考えてないような意見もたくさん出てきます。そういうところにできるだけ耳を傾けて、たくさん取り入れるように意識しています。

藤田 私はできるだけ相手の想像してるものが形になればいいなと思っています。そして私はそれに寄り添えたらいいなっていう風に思っています。あまり自分で何かを進めるのは得意ではないのですが、神田も中原も考えているものはしっかりあって、後輩たちもみんなそうなので。なので、みんなに寄り添って、何か困ったことがあったら助けてあげたいなっていう風に思います。それを邪魔したらいけないかなとか思いながらですが、できるだけ多くの人に寄り添って、その人たちの考えてることが形になればいいかなと思ってやっています。

――最上級生となって初のリーグ戦である春季リーグ戦をを振り返っていかがですか

中原 かなり接戦が多かったので、選手たちの努力が実った試合が続いたなという印象を持っています。接戦や終盤まで負けている試合も勝って完全優勝できました。結果だけ見るとかなり圧倒した見方もできるんですけど、試合1個1個を見ると息の詰まる試合だらけでした。そこを勝ち抜けたのは、春季キャンプなどを終えて、最後の最後まで諦めない気持ちだったり、序盤から試合をどうにかものにしようとか、こうすれば相手のペースを崩せるみたいのを考え抜きながらプレーをしてくれた選手たちのおかげだと思います。逆に今言ったように接戦続きだったので、秋も全く油断できないなと思いますし、どうすれば秋も勝てるんだろうと思うような春季リーグ戦でもあったと思います。

神田 全部喋られてしまったんですけど(笑)、 接戦続きだったのでとにかく勝っているのですが苦しい試合ばかりでした。グラウンドに出ることはないんですけど、見ているこっちが苦しくなってくる試合が多かったです。スコア書いているだけなんですけど、オープン戦の何倍も疲れるので。完全優勝といろいろなところに出ていますが、全部勝ち点を取った気がしていないぐらい、とにかく苦しかったです。逆に完全優勝はおろか、一歩間違えると多分3位、4位、5位というところも見えてくるぐらい紙一重だと思っているので、秋も始まってみないと全くわからないなというのが率直な気持ちです。

藤田 2人も含めて試合を重ねるごとに選手たちがどんどんたくましくなっているなと思いました。法政戦や立教戦は逆転したのが8回だったのですが、法政戦の8回はこんな試合で負けないだろうとこっちが思うぐらい、見ていて格好良いなと思いました。また負けた試合の後、ヒットを打った選手に「良かったね」と言っても、あんまり反応が良くないのですが、勝つとヒットを1本しか打っていなくても、すごい嬉しそうでした。みんなのそういう姿がたくさん見れましたし、すごくタフな期間だったかなとは思うのですが、今まではあと1歩のところで届かなかった優勝をみんなが自分の手で切り開いていけたのはすごい良かったです。

――理想のマネージャー像を教えてください

藤田 マネジャーは1人ではないので。他の大学に比べたら少ないですけど、私たちは3人いて三者三様で結構違うので、お互いの足りないところを補っていけるマネジャーになれたらいいなという風に思っています。

中原 マネジャーの辛さや仕事の多さ、大変さをマネジャー以外に受け取ってほしくないというのが理想としてあります。選手は野球をして上手くなって試合に勝つことが仕事なので、いかにその環境作りに徹するかというのがマネジャーの目的だと思います。選手の思考みたいなものを邪魔せずに、選手の周りのことをしてあげられるかというのが大事だと思います。

神田 理想のマネージャー像というよりは、良いマネジャーの必要要素の1つとして、いつでも視野が広くて周りが見えているというのが挙げられると思います。どうしてもマルチタスクにはなってくるのですが、そのタスク管理も必要要素の1つに挙げられます。キャンプの運営や準備をしていると、いろんな方面で問題が出始めるので、いろいろな角度から物を見て、広い視野で幅広くカバーできるマネジャーが 個人的には理想なのかなとは思っています。

ラストシーズンに向けて

――ここからラストシーズンに向けて質問させていただきます。 お三方は現在のチーム状況やチームの雰囲気をどのように見ていらっしゃいますか

中原 チームの雰囲気としてはかなりどっしりしてきたかなと思います。夏、暑くてきつい期間を乗り越えてここに来たことに加えて、春優勝したので、ディフェンディングをしなきゃいけない思いもあると思います。そこでついた自信もそうですし、どんなところからでも迎え撃てるように、隙のないようにしようという思いが見えます。おそらく、例年のような春ダメだったから、春優勝できなかったからチャレンジャーとしてというようなチームよりも、落ち着いて選手一人一人の視野やメンタルは全体として強く、いい状態なんじゃないかなという風に思います。

神田 自分も自信というのはすごい感じています。春の優勝もそうですし、夏場のキャンプを経て練習してきたものがオープン戦で良い結果が出てる選手も多いです。そういった部分で選手個人としてもチームとしてもオープン戦に限って言えば、結果がついてきていると思います。全体的に自信を持った選手が多いので、余裕が見えますし、堂々としていますね。例えば相手にいいピッチャーが来てもなんとかできるという自信があふれているので、ディフェンディングチャンピオンらしさは感じています。

藤田 経験値が上がっているのは実感としてあります。春季リーグ戦ではすごく強くて、たくさん点を取ったのですけど、全日本はそうはいきませんでした。それでも六大学を勝ち抜いただけあって、決勝までは辿り着けたんですけど、決勝戦では負けで終わってしまって。多分みんなが思っていたよりも打てなかったり、私たちが想像していた試合とは少し違う展開になったと思います。それがあっての夏の期間だったので、今までの春5位だったから頑張ろうという感じではなく、追求してるものもどんどん高いものになっているのではないかなという風に思います。また、4人が大学の日本代表で長い間遠征に行って、その4人もいろんなものをチームに持って帰ってきてくれたと思っています。4年生の代はあともう1勝というのを印出主将もよく言っていますが、それを3年間繰り返してきて。今回の春も優勝できて誇れることだと思っていますが、日本一になるにはあともう1勝足りなかったので、秋はその1勝をなしにできるシーズンにできたらいいなという風に思ってます。

――野球部で迎える最後のシーズンです。同期やこれまで関わってきた方に一言お願いします

藤田 私がマネジャーになった時にいろいろなスポーツ新聞の方に取材していただいたり、ニュースにしていただいたりしたのですが、一番早く載せてくださったのが早稲田スポーツ新聞会の皆様でした。また、担当の方もここ(早スポ)はどこの会社よりも早くあげると決めているとおっしゃっていました。そこから4年経ったのがすごく早いなと思っています。楽しいこともしんどいことも嫌な思いもたくさんありましたけど、マネジャーも選手も個人個人で経験してると思うので、そういうのも含めて最後日本一になって何か形になって終われたらいいと思っています。

神田 自分はプレーする側ではないので、お願いみたいになってしまうのですが、 もう1回優勝パレードがしたいです。春は(早慶2回戦の)日曜日はとにかく雨が土砂降りで、本来予定していたところから優勝パレードができなかったんです。完全なパレードができたわけではないので、秋こそは2試合とも晴天の中で早慶戦をして、そのまま日曜日に雨が降ることなく優勝パレードをしたいです。早稲田らしい商店街を巻き込んだパレードで、最後に早稲田アリーナで祝賀会ができたらいいなって思っています。なので、選手の皆さん歩かせてくださいというお願いです。

中原 最後なので悔いのないようにしたいという思いがあるのですが、優勝できないとどうやっても悔いは残ると思います。綺麗事で負けても悔いのないようにと言いたいですけど、負けるとどうしても悔いは残るので、絶対に勝ちましょうというのが1個みんなに言いたいことです。あと今年は当番校なので、明治神宮大会の運営には必ず関わることになっていて、やっぱり早稲田が出ていないと面白くないです。どうにか優勝してみんなで明治神宮大会を走り抜けてラストシーズン終えたいと思ってるので、できるだけ長く早大野球部でいましょうというのが言いたいことですね。

――最後にこの秋への意気込みをお願いします

藤田 神宮球場で皆さんから声をかけていただいて早稲田の野球部の南ちゃんでいられるのももう今シーズンで終わりなので、 「優勝してよかったね」とたくさん言ってもらえたらいいなと思っています。それを実現させるために神宮大会まで終えられたらいいと思っていますし、それを支えられるように頑張ります。

神田 来週にはリーグ戦が開幕して、開幕するとあっという間に早慶戦を迎えると思います。春優勝できたので、我々がやっていたことは決して間違ってはいないんだろうと思います。最後だからということではなく、今までやってきたことをこの秋最後まで変えることなくやっていけば、自然と結果はついてくるんじゃないかなと思います。とは言っても、最後だからというのが頭に入ってきてしまうので、やっぱり最後いい思いができるように。自分ができることは限られていますが、その限られた中でもチームのために最後まで全力で駆け抜けていけたらなと思っています。

中原 今、神田が言ったようにいろんなものが最後になりますし、意識したくなくても意識してしまうので、1個1個の仕事やイベントのできることを全部やって、チーム全体として秋の優勝と、その先にある後輩に残せる何かであったりつなげる何かというのを1つでも多く残していけたらなと思います。なるべく秋は忙しく頑張りたいなと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 近藤翔太、林田怜空)

◆中原由信(なかはら・よしのぶ)(※写真右)

2002(平14)年6月14日生まれ。東京・早実高出身。政治経済学部4年。

◆神田航(かんだ・わたる)(※写真左)

2002(平14)年12月19日生まれ。東京・早大学院高出身。文学部4年。

◆藤田南(ふじた・みなみ)

2002(平14)年10月12日生まれ。埼玉・開智高出身。人間科学部4年。