【連載】『令和元年度卒業記念特集』第27回 山﨑弥十朗/レスリング

レクリング

チームを支え続けた闘将

 山﨑弥十朗(スポ4=埼玉栄)の「弥十朗」は「野獣朗」ではないかと思わせるほど、そのレスリングはワイルドで力強いスタイルである。トップアスリート推薦で早稲田の門を叩いた山﨑は、1年生のときから天皇杯全日本選手権(天皇杯)準優勝などの成績を残すとともに、練習へストイックに取り組む姿勢によって、早稲田チームを支え引っ張ってきた。また、国内だけでなく海外でも試合を重ね、日本での戦いとは違う感性を磨いた。同年代では国内で敵なしという状況であった山﨑。しかし、この4年間は決して順風満帆と言い切れるものではなかった。

 1年生のとき、ルーキーながら大学生や社会人相手に多くの勝ち星を挙げた。明治杯全日本選抜選手権では準優勝、全日本学生選手権(インカレ)と国民体育大会(国体)では優勝を果たし、「大学1年にしてはでき過ぎてるかな」と山﨑自身が振り返るような内容であった。天皇杯では現在東京五輪出場内定を決めた高谷惣亮(ALSOK)と決勝で争い、収穫と課題を得た。全日本の頂点は険しかったが、学生王者の座をつかんだ1年であった。
 しかし、2年生ではJOCジュニアオリンピックカップの4連覇でシーズンを始めたものの、インカレや明治杯で惜しくも敗北し優勝を逃すなど苦戦を強いられた年となった。U23世界選手権で攻めのレスリングにより7位入賞を果たした後の天皇杯でも初戦敗退に終わり、試合後のインタビューで1年を表わす漢字に「省」を選ぶなど、山﨑にとって試練の年となった。

学生最後の大会で死闘を繰り広げた山﨑

  上級生となった山﨑は悔しさをバネに、心機一転国際大会への出場を増やす。国内では戦えない相手との試合から多くを吸収し着実にステップアップしていった。明治杯では再び決勝に立つも惜しくも敗れ「一番悔しかった試合」と振り返った。そこから試合数を増加し実践を重ねた山﨑。「試合を重ねるごとにいい方向には向いているんじゃないか」と、目標の天皇杯へ向けて調整を図った。しかし、2年連続の初戦敗退に終わってしまった。
 そして学生最後、主将となり迎えた1年。最初の大会は団体戦の東日本学生リーグ戦(リーグ戦)であった。頼りになる後輩とともに3年ぶりの決勝リーグに進んだ早稲田チームだったが、山﨑を始めとする4年生が白星を挙げられず敗北し、4位入賞となってしまった。山﨑が勝てば勝利できた試合もあったために、試合後には「情けない」「今まで何をやってきたんだ」と悔しさを吐露した。主将として団体戦でチームを支えられなかった悔しさは大きいものであった。

 しかし、山﨑は悪い流れを断ち切るあることをインカレまでに行った。それは74キロ級から86キロ級への階級の変更である。大学入ってからの3年間もその2階級を再々変えることがあったが、リーグ戦のときにはすでに74キロ級の体であったため、そこから12キロも上の86キロ級に変えるのは並々ならぬ決断だった。そうして迎えたインカレ。リーグ戦から約3ヶ月空けて臨んだ試合だったが、結果は見事優勝。1年生以来のインカレのタイトルを獲った。86キロ級に上げて初の試合は「力強さが戻ってきた」「自信になった」と手応えをつかめたものとなった。また、「嬉しいよりは安心」と学生最後の年での優勝に対する単なる喜びではなく、自分のレスリングの強さを証明できたことへの安堵感を見せた。

そこから山﨑は一気に加速した。全日本大学グレコローマン選手権では専門外のグレコローマンスタイルで2年連続の優勝、全日本大学選手権は準優勝で早稲田を団体2位に押し上げた。いい流れで臨んだ天皇杯。86キロ級は優勝すれば五輪に一気に近づくことができ、1年生のときから東京五輪を目標に掲げていた山﨑にとって絶好のチャンスであった。しかし、元全日本チャンピオンとの初戦で敗退を喫し天皇杯で再び決勝に立つことは叶わなかった。試合終了のブザーが鳴るとうなだれていた山﨑だったが、インタビューでは「自分の最高のパフォーマンスはできた」とすっきりとした表情で早稲田での最後の大会を終えた。すでに前を向いた表情であった。

 主将としての1年は「苦というよりも勉強させてもらった部分があって自己の成長ができたと思う」。主将として誰よりもストイックに練習に取り組み続け、後輩たちにたくましい背中を見せてきた山﨑は最後の1年多くのプレッシャーがかかりながら過ごしていたはずだ。そんな山﨑の姿は後輩たちに大きな財産を残しただろう。「早稲田大学というのはどの選手でも強くできる環境であるなというのを感じました」と早稲田で過ごした時間に感謝を述べた。現在東京五輪の代表が決まっていくなか、山﨑はすでにパリ五輪に向け走り始めている。早稲田での4年間で得たものを社会人となったこれからに生かし、素晴らしい成長を遂げるに違いない。

(記事 北﨑麗、写真 林大貴氏)